2003/09/20

MILANO & FIRENZE

その1

今から7年前に、初めて行ったイタリア 何故行ったのだろうか?
答えは単純明快である。こういう仕事柄、20数年店頭に立ち
そしてバイヤーとして、国内でも飛び回るが、丁度その時期
世界中のファッションが過渡期を迎えていたのか、国内で見る
商品(インポートから国産)に感動が無く、仕事すらやる気に
うせ始めた時期であった、ホントに服が好きで仕事を続けてきたのに
量産品が多くなり、見る商品見る商品 金太郎飴を見ているようだった
前が見えないという表現がぴったりだった 無個性の時代であったのだろう
僕自身が厭くが強すぎるのだろうか とも思ったが 今までファッションの
流れは色々見てきたし こんな物では無いとも心で呟いていた
僕自身 小学校から(服に執着心が有った)あの時代の事も
鮮明に覚えている。小学校の頃 やたらにVAN(石津健介ひきいる)
ブランドが流行っていた その当時VANを着る人間は不良と思われていたらしい
それは 学校にBDシャツを着ていっていたからだと聞いたが
(当時の中学校や高校の制服のシャツは レギュラーカラーの親父シャツ)が
一般的で 校則に違反したものだったからなのだろう それを着たかった
が、しかし そんな時代に小学生がVANの商品を買う事が出来るわけが無く
VANを着てた 上級生とつるんでよく遊んだものだ、と、その年の夏
高知は台風で被害が多いところだが なんと歴代に残る台風10号で
我が家は 崩壊(畳は浮くは テレビは浮くは 親父は単身赴任で
居ないわで 大変だったのである)軽く床上浸水 2階まで水が来そうだった
で その時救援物資がもらえれ様になり、学校では傘(橙色の傘)や筆箱
ノート等をもらいハシャイデイタラ お袋は泣いていた 何でかと聞くと
家のリフォームを1階2階ともして 1週間後に台風がきたのだった
話が長くなったのですが このときの民間の救援物資の中に
VANのホワイトOXフォードのBDシャツがありここから服にのめりこんでしまった
その冬は カツラギのカラージーンズとアーガイルセーターやキャンバス生地の
GUCCIのビットモカシンが 大流行だった
で 中学時代になり 姉の影響で BIGIやデザイナーブランドにはまり
高校にて 炎のランナーを見て(この時期からジーンズSHOPやTRAD SHOP
でバイトを始めだし 服全般にはまってしまったのである
イタリアンインポートも殆どの ブランドを着て今日にいたり、、、、、
少々話が それましたが、、、、で海外に本当に良いものが無いのだろうかと
ただそれだけで 思い立ったように出かけたのが初めてだった
特に MILANOのカドルナステーションの近くに ある RISTORANTE
Asero Rossoというお店に 毎年一回は顔を出す店があるのだが
味のほうは 7年前から言うと ずいぶん変わったが そこの
コックやウエイターが ひとなつこっく好きなのでいくのだが
前のコラムでも 書いていますが イタリア人は 休憩なるものは
時間きっちり取るため 因みにこの店のオープン時間は PM7.00
PM6.30に行っても 中で照明を消し 全員で食事をしていて
しらんぷりと 言うのが始めていったときで その時はさすがに待ったが
ミラノ滞在中は 毎日 夕食はココでとってたので 仲良しに
で2年目も やはり覚えていた(一緒に取った写真もプレゼントした事が
良かったのだが)店内で 僕にサンタルチアを大声で歌ってくれたし
日本人は デジタルカメラや携帯の最新技術のものをよくもっているのが
気になるらしく リラで幾らだ? どう使うとか?お客さんが呼んでいても
平気でしゃべってくる、、、、 、、、、、
でこの時から 6.30にいっても 中で待って居ろと座って待たしてくれだした
が それでも イタリア人などには 7.00に来いと言って入れてないことに
又感激 だからこの店は 非常に愛着のあるお店なのだ!
ただイタリアも今日本と同じく アメリカからのファーストフード店などの
出店加速で バールやレストランがその影響を受けているのが
ここ最近 目に見えてわかるようになった ため  少々心配である!
(でもスローフ−ドで又元に戻ってきているが)

アメリカはイタリア人にも あまり好かれていない!

又に続く








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